備忘録

アイドルという生き物がすき

ドリフェスと私の境界線(下)〜ハイタッチ会の話〜

7月14日、それはとても暑い日だった。 拭いても拭いても汗は出るし、扇風機のみの室内では申し訳程度の化粧もどんどん崩れてくる。何よりもそこにいた誰もがみんな一人だった。まさに夢のような瞬間が来る、その順番を待つ誰もが。スマホを握りしめる手が震える。こんな状況で、いつも「イケるっしょ!」と私たちの背中を押してくれる彼を思い浮かべる。天宮奏くんは、ほんの数歩先のパーテーションの向こう側にいた。 私は天宮奏くんとハイタッチするために並んでいた。言うまでもなく、2次元のキャラクターと接触するのは初めてだった。 ハイタッチ会の情報を知った時ドリフェスはいろんな意味ですごいプロジェクトだと、ただただ驚いた。奏くんとハイタッチできるなんてすごい、奏くんにありがとうって言いたいから当たるといいな。そう思う反面で、恐怖、というと大げさかもしれないが、それに似た類の感情も抱いていた。 2次元と私たちの間には深い深い溝あるいは越えられない壁がある。本来ならその事実を意識させないようにするのが普通のはずだ。 仮想現実としてDearDreamとKUROFUNEのライブを体感させてくれたDMMシアターには境界をなくしてしまうような時間が流れていた。しかしハイタッチ会で触れてしまえばどうしたって「彼らと私は違う世界にいる」という境界を感じずにはいられないはずだ。それを自ら侵しにいくドリフェスの底知れぬ勇気のようなものが、ほんの少しだけこわかった。 順番が回ってきて、姿見の前で髪型や化粧を確認する。一回帰宅して出直したいくらい汗まみれなのは奏くんに悪いなとか、ハイタッチは5本指でと言われたものの七色をちりばめたネイルが彼の手を傷つけてしまわないかとか、とにかくいろんなことが心配だった。そんな考えも、段にのぼった私の前に奏くんが現れてからはすべて吹き飛んでしまった。 目の前に奏くんがいる。 177cmも身長があるせいか思ったより大きくてびっくりしたのと、何よりすごく目があう。他人と目をあわせることは日常生活でそうないと思う。でも奏くんのキラキラした大きな瞳が、真っ直ぐで曇りのない眼差しが、自分に向けられている。それが信じられなくて、どうにも恥ずかしくてつい目をそらしてしまった。それでも奏くんは優しく微笑んでくれる。こういう反応は慣れているんだろうか、とふと思った。 合図をしてもらって液晶越しにパン、と合わせた手はなぜだか温かかった。その時は少しだって柔らかくない感触を気にするより、奏くんの手ってあったかいんだなと思う気持ちの方が強かった。 ありがとう! と言ってくれた彼の首のあたりを見ながら、やっとのことでありがとうとだけ返した。いてもたってもいられなくなってすぐに段から降りた。見守ってくださっていたスタッフの方が、えっ? というような顔をされたので振り返ったら、奏くんはあの、慈しむような優しい笑顔で長いこと私に両手を振ってくれていた。 こうして振り返ってみるとふわふわした夢のような感覚に少しだけの後悔が残ってしまったが、それが私と奏くんとのハイタッチの記憶だ。 翌日ドリフェスのことを知らない友人にハイタッチ会のことを話したら、ひとしきり笑ってくれた後に、もっと技術が進んだらもっと進化したハイタッチ会ができるかもねというようなことを言ってくれた。 もっと進化したハイタッチ会ってどんなものなんだろう、私は考える。 私が話しかけた内容に返事をしてくれたり、触れた質感が男の人のそれだったりするんだろうか。 もしそれが実現したら、本当に現実との境界がわからなくなってしまいそうだ。ただ、技術が進んだその先に奏くんたちはいるんだろうか。欲を言えば他の6人にも会ってみたいし、一言でいいからお話もしてみたい。 終わりを告げられた後ですら新しい夢がたくさん生まれてしまうドリフェスが愛おしくて、それでもあと3ヶ月後には笑顔で見送らなければ、と思うとやはり寂しさを感じずにはいられない。 今私のいる世界との境目が曖昧になるような不思議な感覚に陥ってしまうような体験をさせられるのは、後にも先にもきっとドリフェスだけだ。